弁護士から疑問の声〜低廉な報酬基準が弁護士業界を席捲する(?)

smart FLASH 2022/8/9 配信号 では、

法テラスの“過剰広告”に弁護士から疑問の声「税金で運営しているのに価格破壊を起こすな」と題して、法テラスと弁護士報酬の問題が取り上げられています。

そこで、この記事に関しての一考を述べてみたいと思います。

 

1 .法テラスの利用対象者とは

まず法テラスの制度を利用できる人はどのような人かということですが、法テラスは低所得者を対象に法的サービスの提供を目的としている機関であり、法テラスの民事法律扶助制度を利用できる人は「資力の乏しい国民等」とされています。

そして、なぜ法テラスの報酬基準が低廉なものになっているかというと、それはいうまでもなく、資力の乏しい方を念頭においているからです。資力の乏しい方に対しては、それに応じた救済措置を講じていく必要があるからです。

よって、法テラスの利用対象者は「資力の乏しい方」のみであって、すべての国民が利用の対象となっているわけではありません。

言い換えると、

(a) 法テラス所定の利用基準を満たさない一般国民

(b) 富裕層の方

(c) 企業

などは、もともと法テラスの制度とは縁がなく、低廉な報酬基準も関係がないということになります。

即ち法テラスの制度は、資力が充分な人をも利するという制度設計ではありません。

よって、仮に法テラスの報酬基準額がアップされることになれば、直接的にその影響を受けるのは「資力の乏しい方」だけだということです。

そうであるならば、仮にこの低廉部分を何らかの形で補っていく方策を検討する場合は、国費を投入していく等別の方法を考えていった方がよいのではないでしょうか。

単に「法テラスの報酬基準を上げればよい」という短絡的な問題ではないと考えます。

もしそんなことをしていたら、法テラス制度が、社会的弱者相手に、単なる弁護士の「仕事獲得活動」の道具になりかねないからです。

 

2 .中長期的な国民の利益について

記事の中では、

法テラスは一見、弁護士に払う費用を低下させるという面で、短期的には依頼者に福音にみえるかもしれませんが、低廉な報酬基準が弁護士業界を席捲することで、中長期的に見れば、弁護士のスキル向上が阻害されるうえ、弁護士が使い捨てにされてしまいます。これでは、将来的に弁護士に依頼しようとする方々にとっても、利益になるとは思えません。

という記述があります。

前述のとおり、法テラスの利用対象者は「資力の乏しい方」だけであって、すべての国民が低廉な報酬基準の対象となるものでありません。

そして、通常各弁護士は、資力の乏しい方だけの業務をしているわけではなく、上記 (a)(b)(c) の方々の案件も数多くこなして事務所を維持しています。

そして依頼人が (a)(b)(c) のような場合は、弁護士は法テラス基準のような低廉な報酬額で受任しているのではなく、各事務所所定の報酬規程に基づきしっかりとした報酬を得ているのです。

この場合の各事務所の報酬規程は、平成16年の報酬自由化により、その価格設定権(価格決定権)は100%弁護士側にあるということです。

特に、企業案件や有名人の弁護などの場合は、非常に高額な報酬を得ている弁護士も数多く存在しているはずです。

 

その他弁護士には、

(d) 裁判所からの仕事(相続財産管理人、破産管財人、等々)

(e) 成年後見人等の就任

といった仕事もあり、もちろんこれらによる報酬も、法テラスの報酬基準とは関係がありません。

よって、各弁護士における法テラス案件(=低廉な報酬基準)の仕事の割合は、全業務のうちの「一部」ということになります。

通常、法テラス案件を扱う弁護士さんにおいては、全業務のうちの「法テラス案件」の割合は、10〜30%程度の方が多いのではないかと推測します。

逆にいうと、弁護士が受託する全業務うちの70〜90%は、(a)(b)(c)の方相手の業務の他、(d)(e)などの仕事で占められておりこれら(a)〜(e)の業務の場合は、弁護士は、低廉な報酬基準とは全く関係がないことになります。

(※ 法テラス常勤の弁護士さん(いわゆるスタッフ弁護士)の場合は、事情が根本から異なります。上記は「持ち込み」の弁護士の場合です。)。

このような背景に鑑みると、「低廉な報酬基準が弁護士業界を席捲する」という事態は、およそ考えにくいと思います。割合が「一部」にすぎないからです。

さらに、記事内の中堅弁護士は法テラスとの契約を打ち切ったとあるので、現状、中堅弁護士は法テラスの低廉な報酬基準とは無関係に自らの業務をしているのであり、些かも低廉基準の影響を受けているものではないと考えられます。よって、当の中堅弁護士自身、低廉基準に席捲されているという事実もないことになります。

FLASHの記事では、法テラスの低廉な報酬基準が弁護士業界を席捲し、これによってあたかも未来における弁護士業界全体の衰退に繋がるような論じ方をしていますが、話が飛躍し過ぎているように感じます

 

また、利用者(国民)側に立って考えてみると、法テラスは、お金をあまり持っていない方々が法的問題に直面し、藁をもすがる思いで法テラスの制度を利用できる弁護士さんを探し依頼をしていく、ということを予定しているのです。

このような方々は、目の前のご自身の苦境をどう乗り切っていくのかが喫緊の課題であって、「中長期的」や「将来的に弁護士を依頼をしようとする方々」といった、将来の、しかも他人様のことを考えられる余裕などはないのではないか、と個人的には思います。

仮に、「中長期的」や「将来的に弁護士を依頼をしようとする方々」への配慮を検討する場合は、弁護士側がそれを要求してもいい人というのは、そのような高尚な未来を考えられる余裕のある人に任せておくほうが、社会に対して優しいのではないかと考えます。

少なくとも、報酬基準アップの場合の不利益が直撃する人(=資力の乏しい方)だけにその責任を転嫁してしまうのは、本来の法律扶助制度の趣旨とは相容れないと考えられます。

 

3.法テラスを敵視する弁護士は 少数? or 多数?

flash の記事では、中堅弁護士の談として、

いずれにせよ、法テラス経由の案件の取り扱いをやめたがっている先生は多いのです。

とありますが、これもどのような根拠に基づいて「多い」と言ってるのかが判然としません。法テラス契約弁護士全体のうちの過半数以上であれば「多い」と言えるかもしれませんが、現実には、そのような調査をすることは不可能だと思います。

ですから、「多いのです」というのは本当なのか?という疑問はあります。

 

ところで、確かに法テラスの報酬基準は低廉です。

しかしこの低廉な理由が、上述のとおり、資力の乏しい方への法的救済を目的にしていることから、弁護士や司法書士にとっては、法テラスを利用しての仕事の受託は、ある意味、経済的困窮者に対する「社会貢献」という側面があるように思います。

「社会貢献」もしたいが「金」も欲しい、この二つは本来両立し得ないのであって、二者を追い求めていくことはそもそも無理があるのです。どちらかを追求した場合は、他の一方は成り立たないのです(社会貢献活動に邁進した「結果」としてお金に繋がったということはよくあります。)。

全国には、(a)(b)(c)+(d)(e) の部分でしっかり収入を得て、その余力を法テラス案件に費やすなどの工夫をすることによって、社会貢献の部分に尽力されている弁護士さんも数多くいます。

一方、法テラスの利用対象者である「資力の乏しい方」を相手に、自らの食い扶ちの糧にしようと考えて法テラス案件に手を出してしまうと、結局は、「低廉」部分に不満が鬱積し、法テラス憎しという感情に発展してしまうように思います。

法テラス案件は、自分自身の業務形態の中で、できる範囲で気持ち良くこなしていくことの方が、依頼者・受任者、両者にとって幸福なのではないかと考えます。

 

私は司法書士ですが、日ごろ法テラス案件を多用しています。

その理由は、これも一つの「社会貢献」活動の一環だと捉えて司法書士業を行っているので、低廉基準を憎いと思ったことはありません。

なぜなら、社会貢献と金は両立しないという道理を心得ているので、社会貢献の方を選択した場合は、低廉も、そういうものだと思っているからです。

 

札幌のある弁護士さんは、私と考え方が近いようです。ご自身の BLOG の中で、

  • 「私の事務所の事件は大半が法テラス案件ですが、賃料、給料などの支払いに困ることはありません。私自身の生活もできています。」
  • 「法テラス案件が受任できないということになると、生活保護受給者は依頼は必然に拒否することになります。それが正しいとは思われません。」
  • 「私が法テラス事件を多く依頼を受けているのも、報酬が低かろうがそれだけで依頼を断るのであれば、自分の中で何で弁護士になったのかという思いがあります。」

とおっしゃっています。札幌の弁護士さんの BLOG は次のとおりです。

 

このような弁護士さんがいて、救われる方がいる、そして社会が回り成り立っている、という側面があることも事実です。

つまり自分の中で、社会の一員として「社会貢献」の部分に重きを置きたいのか、それとも「金」の部分を重視するのか、いろんな考え方の弁護士や司法書士がいるということです。

どちらが正しくて、どちらが間違いだという話ではありません。

そして、どちらが多数でどちらが少数なのかは誰にもわからないのです。

どちらに共感できて、どちらに共感できないのかは人それぞれです。

人は、自分が共感できる弁護士に近づき、共感できない弁護士とは距離を置く、ということなのかも知れません。

 

先日亡くなられた稲盛和夫さんは、

ご自身が提唱した「フィロソフィ」という人生哲学の中で次のような言葉を残されています(稲盛和夫OFFICIALSITE「フィロソフィとは何か」)。

 ‘ 人間としてこういう生きざまが正しいと思う ’

「こういう生きざま」とはどういう生きざまなのか、何が正しいと思うのか、いかなる人生哲学を持って生きているのかは、各弁護士や司法書士によって異なるということです。

 

4.匿名について

(1)信憑性

ところで、この記事を読んでの第一印象ですが、非常にモヤモヤ感を受けました。

その原因を考えてみると、それは、記事中の中堅弁護士及び司法担当記者がいずれも匿名になっており、記事の発言に対しての責任の所在が不明であるからだと思います。

通常「ある発言」に信憑性を持たせるには、その発言者を特定しておく作業が極めて重要であると思います。一方匿名の場合は責任が伴わないため、無責任になんでも言えてしまうという側面があります。

よって内容の「信憑性」という意味では、この記事はとてももったいないことをしているなという印象を受けます。なぜなら、中堅弁護士は本当に実在しているのか?と問われたときに、何も言えなくなってしまうからです。

(2)匿名で世の中が変わるのか?

通常ある人物が何かを成し遂げるときには、自らの素性を明らかにした上で、自らの信念なり考えを世に問うていくというのが手順です。

「千万人と雖も吾往かん」ということばがありますが、これは、たとえ千万人から批判を受けたとしても、恐れず自らの道を進んで行くということです。

人々が、そこにその人物の勇気、本気、覚悟、信念といったものを感じたとき、人々の心は少しずつ動いていくのかも知れません。

一方、匿名の場合は、そこには「覚悟」というものが備わっていませんから、単なるつぶやき・ぼやきレベルになってしまっており、少なくとも「何かを変えよう」という「本気」が感じられませんなぜなら、自分を「安全な場所」に置いてしまっているからです。

この手の発言者は、世間からは、ただのヘタレ者に見えてしまうものです。

これでは人の心は動きませんし、まして社会を変えていくこともできないのではないでしょうか。どこの誰が言ったのかわからないような発言を相手にしてくれる人は少ないからです。

 

稲盛和夫さんは、常に本気の方でした。

勇気と覚悟と信念の方でした。

だから世に名を残し、奥底からカッコいいのです。

今回この記事内の「九州で長年活動している中堅弁護士」が、例えば「福岡県の□□△△△弁護士」というように堂々と素性を明らかにして発言していれば、その言葉にも覚悟と重みが備わったのに…と思うのですが、些か残念な印象を受けます。

 

5.規程の存在

いずれにしても、法テラスと弁護士について、問題の所存や本音の部分が少しずつ表に出てくるようになってきたことは好ましいことだと思います。

私は思うのですが、様々な問題提起の前に、まず、「弁護士職務基本規程第33条」と「債務整理事件処理の規律を定める規程第6条」の処遇をなんとかしないと始まらないのではないでしょうか。

なぜなら通常一般国民は、このような規程があれば、弁護士はこのように対応してくれる(努めてくれる)のだろうと思うのが自然なことだからです。

もし弁護士がこれらの規程と異なった対応を促進するのであれば、この規程の存在をなんとかする必要があると思います。

言ってることとやってることが違うという対応は、国民からは弁護士不信に繋がり、ひいてはそれは弁護士業界のためにもならないのではないでしょうか。

弁護士職務基本規程 第33条(法律扶助制度等の説明)

弁護士は、依頼者に対し、事案に応じ、法律扶助制度、訴訟救助制度その他の資力の乏しい者の権利保護のための制度を説明し、裁判を受ける権利が保障されるように努める。 

債務整理事件処理の規律を定める規程 第6条(民事法律扶助制度の説明)

弁護士は、債務整理事件を受任するに際しては、事案に応じ、当該債務者の経済生活の再生の観点から必要かつ相当と認められる場合には、法律扶助制度その他の資力の乏しい者の権利保護のための制度を説明し、当該債務者が当該制度の利用を希望するときは、その利用が可能となるように努める。

ところで弁護士業界において上記規程が存在していることは、弁護士自身も、自分の顔と名前を出して発言する場合は、大っぴらにそれを「無視しろ」とはいえない環境があると思います。前述の匿名についても、このような事情が影響している部分もあるのでしょう。

そこで、上記各規程は法律ではないため、国会の関与などなくても、弁護士の多数意見があれば改変や廃止が可能です。

そしてこれを実現していくためには、誰かが先頭に立って音頭を取る人が必要です(ただし、匿名でないほうが説得力が備わると思います。)。

しかしながら、これら規程の改変や廃止に向けた活動が本格化していない現状では、中堅弁護士や司法担当記者の指摘が、本当に弁護士さんたちの多数意見であるのか否かという点は、一歩引いて考える必要があるのかも知れません。

記事内容全体が匿名者の発言によって構成されていることからも、実は、これらは少数意見である可能性も否定できないのではないでしょうか。

 

文責  司法書士 五十嵐正敏

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