己を賢者と思う者は愚者である

最近、他人のことを指して「頭の悪い人」云々といった言葉を多用する人がいるようです。

何をもって頭がいい・悪いというのかは、それぞれその人によって違うのでしょう。 

  • お勉強の出来不出来
  • 頭の回転の速さ
  • 商才
  • お金を得る才覚
  • 世渡りの才能   etc.

 

私が思うところの「頭の良さ」は、「物事の道理をわきまえている」ということだと考えています。

言い換えると、人としての「智慧」を持ち合わせているということです。

道理、智慧とは、例えば、

  • 私のものは何ひとつない。わたし自身も私のものではない。ならばどうして私の子や財産が私のものであろうか。
  • 金を持ち、財をなし、地位を得ようとも、欲望が満足されることはない。悩みは尽きない。
  • 愚かな者と群れるな。独りで行け。孤独(ひとり)で歩め。林の中にいる象のように。
  • 悪事を働いても、その報いがすぐに現れるというわけではない。悪の報いが熟しない間は、悪人でも幸運にあうこともあり、愚かな者はそれを密のようにおもいなす。しかしその業は、灰に覆われた火のように、徐々に燃えて悩ましながらその者につきまとう。
  • 怨みは怨みによっては決して静まらない。怨みの状態は、怨みのないことによって静まる。智慧を知る人は、怨みをつくらない。

などなど。

 

ところで、「頭の悪い人」云々を口にする人は、おそらく自分は頭が悪くない、頭がいいと思っている人なのでしょう。

ならばそこには、他者への「見下し」、他者に対する「傲慢」な心がうかがわれます。

こうしたとき、「じゃ、あなたは頭がいいですか?賢い人ですか?」と逆に聞き返してみると、その人はなんと答えるのでしょうか。興味があります。

「はい、私は頭がいいです。賢者です。」と言うのでしょうか。

言わないまでも、内心、きっとそう思っているのでしょう。

自分は賢いと思っているから、他人の「頭が悪く」見えてくるのです。 

 男はつらいよ 第16作葛飾立志編(昭和50年12月公開)では次ようなシーンがあります。

寅次郎は、自分に「学」がないことを日々思い悩んでいました。

旅先、山形県大江町のとある寺で、大滝秀治さん扮する和尚さんと次のようなやりとりをします。 

 :私は学問がないばかりに、これまでつらい思いや悲しい思いをどれだけしたかわかりません。私のようなバカな男はどうしようもありません。

和尚:それはちがう。その愚かさに気づいた人間は愚かとは言わない。あなたはもう利巧な人間だ。

秀治和尚は寅さんを指さしこのように言ったのです。

なるほど。

さすが秀治和尚。
 

法句経(ダンマパダ)の63偈にも同様のことが書いてあります(『ブッダ真理のことば』、中村元 訳、岩波文庫)。

もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。

愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、「愚者」だと言われる。 

 

法句経は釈迦が説いた原始仏教のことばとして「真理のことば」といわれています。

真理、すなわち道理、智慧のことばといえます。

そうすると、他者に対して「頭の悪い人」云々を口にする人は、実は、自分を賢者であると錯覚してしまっている人といえますから、上記の道理に従えば、その者こそ「愚者」、即ち「バカ者」だということになるのです。

そしてこのようなことは、物事の道理を知らないことから生じる愚行なのです。

ですから、この手の人に対しては、このように返しておきたいものです。

「仰せのとおり、私は頭が悪く愚かな人間です。すみません。でも、寅さんのように常にそのことを忘れず、それをよすがに生きていきたいと思っています。」

 

自分の「頭の良さ」をひけらかしたい、他者との関係において優位なマウントをとりたいなどの思惑で口にする言葉は、実は、自分の愚かさを口にしていることであり、己の恥をさらしていることになります。

そして最も深刻なことは、それが恥ずかしい行いであるということに自分が気づいていないことです。このような状態を「無明」というのです。

よくよく気をつけるようにしましょう。

自戒の念を込めて。

寅さんが人々から慕われ人気を得たのは、寅さん自身が、実は、物事の道理をわきまえた利巧な方だったからなのかも知れません。

令和四年長月

 

道理・智慧  の追記(令和六年水無月

  • 知慧乏しき愚かな人は放逸にふける。しかし心ある人々は、最上の財宝(たから)をまもるように、つとめはげむのをまもる
  • 水道をつくる人は水をみちびき、矢をつくる人は矢を矯め(ため)、大工は木材を矯め、慎しみ深い人々は自己をととのえる。
  • 妄執から憂いが生じ、妄執から恐れが生じる。妄執を離れたならば、憂いは存しない。どうして恐れることがあろうか。
  • 恥じなくてもよいことを恥じ、恥ずべきことを恥じない人々は、邪な見解をいだいて、悪いところにおもむく。
  • あれこれ考えて心が乱れ、愛欲(※)がはげしくうずくのに、愛欲を浄らかだと見なす人には、愛執がますます増大する。この人は実に束縛の絆を堅固たらしめる。

※  愛欲とは、一般に色恋事にまつわる欲望、異性に対する強い情欲などと説明されますが、仏教では、悟りの邪魔になる激しい欲望すべてをいいます。例えば、生に対する執着が根本であり、見るもの聞くものすべてを欲しがる欲望となり、また転じて、死を願うような欲望ともなります。

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