見返りを求めるところに「美」は生まれない

秩父札所十五番 少林寺

このお寺には五葉禅会という坐禅の会があり、毎月15日の朝6時から坐禅が行われています。

私もこの坐禅の会に平成22年から参加していますが、お正月やお盆の月にはお寺から参禅者にちょっとしたプレゼントがあります。

今月(8月15日)いただいたプレゼントは団扇です。

このお寺のご住職である井上圭宗和尚のお師匠様が臨済宗建長寺派管長の吉田正道老大師ということで、毎年、ご老大師が書かれた禅語の団扇をいただきます。

今回の団扇には、花木鶯吟とあります。

その意味は、鶯(うぐいす)は、花が咲きほこり、木が生い茂っているところで口ずさむ、ということです。

花や木は、何の見返りも求めず、ただただ力いっぱい自分のすべきことを愚直に実行する。

そんな美しい姿があるところには自然と鶯が寄って来て、草木の美しさにさらに美声を添えていく、ということのようです。

裏を返せば、いつも損得勘定ばかりを考え、ガツガツ、ギラギラした様相のところには鶯も寄ってはこないということになりそうです。

ここでの鶯は比喩で、人間を含めたあらゆる生き物と考えていけばよいでしょう。

損か得か、win-winか、などという考えを巡らしているうちは鶯も近づいては来ませんということです。

無意識の give-give が禅の世界です。

 

以前ご紹介した、曹洞宗前貫主であった亡宮崎奕保禅師も似たような趣旨のお話をされていました。

見返りを求めないところに真(まこと)の美しさが宿るということです。

 

私が尊敬する中村哲医師は、まさにこの美しさのあるお方です。

カッコいい人間になりたいものです。← こんなことを思っているうちは、私もやはり甘ちゃんです。 

なぜなら、草や木や鶯は、そんなこと考えてはいないでしょう。

中村医師も考えてはいないでしょう。

「カッコよくなりたい」などという自意識は、即ち自分に執着していることの現れです。

もっともっと坐らなければいけません。

 

住職さんはこんなお話もされました。

坐禅は人の一年と同じだと。

坐禅を長時間していると足が痛くなってきます。

ときにははち切れんばかりの激痛をともないます。

しかし、坐禅が終わるといつのまにか足の痛みも消散し、何事もなかったかのように普通に過ごします。

 

これは人の一年(あるいは一生といってもよいのでしょう)と同じで、人生、山あり谷あり、谷のときもあれば山のときもある、ずっと谷が続くわけでもなし、ずっと山が続くわけでもない。

生きるということはそういうことなのだ。

結局は、諸行(もろもろの事象)は無常(たえず変化し移り変わる)であるという根本に行きつくのだ、と圭宗和尚はおっしゃいました。 

お盆の早朝、団扇とともにとてもありがたい法話をいただきました。

平成二十九年葉月

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