何をしでかすかわからない、それが自分なのです

ロンドンブーツ2号の亮さんが謝罪会見をされました。

とてもいい会見だったと思います。

やはり「正直」というのは人の心に響くものがあります。

人は、生きているとさまざまな失敗をしてしまうものです。

特に、好調な時ほど危ない。

そこには自惚れ、驕り、思い上がり、慢心などがあるからです。

あ〜あ、やっちゃった・・・

と思っても、気付いたときには後の祭り、ということも多いのではないでしょうか。

やってしまったこと、起こってしまったことはどうにもなりません。

ならば、自分自身のバカダメさをよくよく認識し、正直に告白し反省していくしかありません。

 

さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし

という言葉があります。

これは親鸞聖人の語録をまとめた書物 『歎異抄』 第13条の中の一節です。

人は、始まりのない過去から現在まで、自分がしてきた様々な「業」(行い)に起因し、自分を取り巻く「縁」によっていかようにも行動してしまうという、

人間の性と業の深さを語っているように思います。

学問を積み、精神修養に励み、善行に努め、自分を勘定に入れないような生き方をしているような、周囲には「素晴らしい人」「奇跡の人」に映っている人であっても、その本質は、実のところ、その時に置かれた環境によっては、

いかなる振る舞いもしてしまう、何をしでかすかわからない、何を言いだすかわからない、

そんな煩悩具足の危なっかしい生き物が人間であり、自分なのです。

親鸞聖人はそのことを見抜いていたのです。

  

ならば、バカダメの自分を認めてしまえばよいのです。

格好なんてつける必要はありません。

なぜならバカダメな自分の姿は、阿弥陀様の眼から見るともうバレバレだからです。

全部見抜かれちゃってます。

過ちや間違いをしてしまうのが人間です。 

でも救いはあります。

あ〜あ、の出来事について、今後の教訓として生かしていくとともに、謙虚な心で生きていけばよいのです。

こういうときの処方箋は、「日々を切に生きる」ということなのかも知れません。爾後、

美しい緑のカメムシ

己の弱さ、ダメさをいつも心にとどめて過ごしていれば、思い上がりや傲慢さは影をひそめていくのでしょう。

その結果、自分の所作がしゃんっとしてきます。

人に対して優しくなります。

他人の過ちを責めることもできなくなります。

静かに呼吸を整え、日々を清々しく過ごしていれば、

やがて人生は好転していくのでしょう。

 (ただし、すぐには変わりません。しばらくは待たないとダメです。)

 

それでいいのではないでしょうか。

というか、叩けば埃だらけの自分ですから、そうやって生きていくしかないですね、もう。

時に強烈な匂いを放つカメムシにも、美しい側面があります。  

 

最後に、マザーテレサの言葉です。

 この世で大きなことはできません。

 小さなことを大きな愛で行うだけです。 

令和元年 文月  

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