埼玉県秩父市宮側町17番3号 福田ビル1F
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生きていると様々な「物」(モノ)を持ってしまいがちです。
そして無自覚に油断していると、モノは無限に増えていきます。
反比例して、人生の時間は着実に減っていきます。
モノはお金で買えますが、時間はお金で買えません。
部屋の中を見回してみても、たくさんのモノで溢れかえっていませんか?
必要なモノもあれば、まったく使ってないモノ、もはや必要ではないモノもたくさんあります。
これは「モノ」に限らず、人間関係においても同様といえるでしょう。携帯のアドレス帳にたくさんの名前が登録されていたところで、実際のところ、今はもう必要でない「人」も多いものです。
多くのモノや人間関係を持つことで充実感を得る人がいる一方で、「持たない」ことの有益性が見直されてきているようです。
断捨離やミニマリストといった行動様式が注目されています。
私も昔から「持たない」ことを心がけていて、とにかく使わないもの、必要でないものは率先して捨てちゃうようにしています。
「それ、本当に必要なもの?」と自分自身に問いかけてみると、本当に必要なものはそう多くはありません。
モノより時間を大切にしたいので、モノは必要な分だけあればそれでよいと思っています。
いつか必要になるときがくるかも知れない、の「いつか」はほとんど来ません。
この「いつか」のために窮屈な生活を強いられるのは割に合わないので、将来その「いつか」が来たら、その時に買えばよいと思って捨ててしまいます。
車も、流行や高級車とかにはまったく興味がありません。
今乗っているのは8年落ちのニッサンの大衆車です。故障もなくちゃんと走りますからそれで十分です。
テレビをだらだらと見ていると3,4時間がすぐに経ってしまいます。
またもや無為な時間を消費してまったな・・・、暗澹な気持ちになるのが嫌で、テレビを見るのもやめてしまいました。
世情はネットのサイトで確認していますから、最小限のことは承知しています。
「情報」も最小限で足りる、というところがミソです。
そのようにしてどんどん捨てていくうちに、我が家のリビングはとてもスッキリしました。(→写真はうちのリビングで、モノがないため解放感◎です。)
我が家的には、窓から見える山々や樹々の風景があれば十分です。
家の西側が檜林となっていて、この林がサイコーです。
四季はもちろん、毎日、日の出から日の入りまで、さまざまな素顔を見せてくれるので心が癒されます。
うちに「あるもの」は、
注がれる陽光、流れる雲、樹々の彩、鳥や蜩(ひぐらし)の声、振り子時計のコチコチ、庭の花々、蝋梅の香り(真冬時)、檜林からの木漏れ日、炒った珈琲とお香の香り、月明かり、鮮やかな北斗七星、そして静寂と漆黒の闇、といったところです。
起きて半畳 寝て一畳 ということばがあります。
これは、人間一人に必要なスペースは、起きている時は半畳、寝ている時には一畳分で足りるということです。
まさにそのとおりですね。
禅寺の修行道場で修業する修行僧を雲水と呼びますが、雲水に与えられる生活上のスペースも一畳分です。この一畳の中で寝起きをし、座禅をし、食事をするのです。
それで十分、ちゃんと生きていけます。何も困りません。
「起きて半畳 寝て一畳」は、言い換えると「足るを知る」という禅語に通じます。
見かけや外観はあくまで作り物です。
モノ、カネ、地位、アドレス帳の登録数、etc…、これらは人の評価や人生の価値とは無関係です。
つまらない見栄やプライドは、自分自身をスポイルするだけでなんの役にも立ちません。
ならばそんなものは即捨てる。
捨ててしまえ。
モノがなくても豊かに生きていくことができます。
本当に必要なものだけを大切にし、身の丈にあった暮らしで丁寧に生きる。
少ないモノでセンスよく生きる。
そんな生き方の選択もイイと思います。
以下、亡 中村 哲 医師のことばです。 人間にとって本当に必要なものは、そう多くはない。 少なくとも私は「カネさえあれば幸せになる」という迷信、「武力さえあれば身が守れる」とういう妄信からは自由である。 何が真実で何が不要なのか、何が人として最低限共有できるものなのか、目を凝らして見つめ、健全な感性と自然との関係を回復することである。 戦後60年、自分はその時代の精神的気流の中で生きてきた。 しかし、変わらぬものは変わらない。 江戸時代も、縄文の昔もそうであったろう。 いたずらに時流に流されて大切なものを見失い、進歩という名の呪文に束縛され、生命を粗末にしてはならない。 今大人たちが唱える「改革」や「進歩」の実態は、宙に縄をかけてそれをよじ登ろうとする魔術師に似ている。 だまされてはいけない。 「王様は裸だ」と叫んだ者は、見栄や先入観、利害関係から自由な子供であった。 それを次世代に期待する。 (出典:NHK知るを楽しむ アフガン・命の水を求めて 中村哲、2006 日本放送出版協会 135頁) |
生前の中村医師からは、豪邸も高級車もブランド品も、およそイメージできません。
実際、それらとは無縁の人生を歩まれた方でした。
無駄口はたたかず、寡黙に「実行」を実践されていました。
だから奥底からカッコイイのです。
人間の真のカッコよさは、物でも金でもない。
「生きざま」です。
そのことを中村医師は証明してくれたように思います。
単なる成金に成り下がって闊歩していても、傍から見ると「みっともない」だけです。
「何が真実で何が不要なのか、目を凝らして見つめる必要がある。」
亡くなる13年前の言葉ですが、今思うと、次世代の若者たちへの切実なる遺言であったようにも思えます。
令和2年師走 (令和3年文月 追記)
司法書士・特定行政書士 五十嵐 正 敏
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